About
幼少時代
私は愛知県で生まれました。
1歳になる前に熊本県へ引っ越し、高校卒業までの約17年間を熊本で過ごしました。
長女で、2つ下に弟が1人います。
幼いころ住んでいた家には広い庭があり、弟や友達と仲良く遊んでいたことを覚えています。
両親の地元がともに愛知県ということもあり、親戚は愛知県と静岡県にいます。
離れていることを寂しく感じる時もありますが、幼いながら年1回の帰省は楽しみのひとつでした。
家庭はあまり裕福ではありませんでした。
私が2歳の時、父がうつ病を患い、色々と大変な思いをしてきました。
DVや自傷行為、自殺未遂をして警察沙汰になったりしたこともありました。
泣いて泣いて、泣きました。
そのような家庭環境もあってか、小さい頃から遠慮や我慢をし、周りの状況を伺いながら行動していた"子どもらしくない"子どもだったかもしれません。
当時はこんな家庭散々だと思っていましたが、自分を不幸な人間だと思ったことはありませんでした。
なぜなら、母が父親の分まで、たくさんの愛情を私たち姉弟に注いでくれたからです。
母は私たちのためなら何でもしてくれました。
もしこのような家庭環境ではなく、"普通"の家庭だったとしたら、今の私はここまで強く成長していなかったでしょう。
周りの友達に比べたら、我慢しながら、苦労しながら生きてきたかもしれません。
家族みんなが当たり前のように笑える、そんな普通の家庭に嫌というほど憧れを抱いていました。
でも、今となっては過去を笑って振り返ることができますし、父親にも感謝しています。
家族でご飯に行くこともあり、良い関係での交流が続いています。
小学校〜高校時代
小学校に入学しますが、1、2年生の頃はあまり馴染めず、学校をサボることがありました。
しかし3年生になり、ギターを弾くのが上手な優しい担任の先生に出会ってからは、学校へ行くことができるようになり、自分を少しずつ出せるようになりました。
10分という今では考えられない短い休み時間で、友達とドッジボールを楽しむ元気な女の子でした。
4、5年生では"自主学習"にハマっていました。
1日1ページで良いのですが、先生に褒められるのが嬉しく、また競い合う友達の存在もあり、1日に何ページも取り組んでいました。
振り返れば、この頃から勉強することを楽しいと思っていました。
6年生では最後の最後に仲の良い友達グループで大喧嘩をし、寂しい卒業式となったことを今でも覚えています。
中学校では、同じ小学校の仲間も多く、楽しい学校生活を過ごしました。
吹奏楽部に入部しますが、小学生の頃に遊んでいた太鼓の達人で鍛えたリズム感が評価され、パーカッション(打楽器)に抜擢されました。
演奏はとても楽しかったですが、先輩や同級生の間で、人間関係の問題がたくさん起こりました。
何度も辞めたいと思っていましたが、仲の良い友達の存在のおかげで、最後までやり遂げることができました。
二人でよく辞めたい辞めたいと愚痴を言いながら、夕焼けの中帰った日々を思い出します。
勉学はというと、中学校1年生は真面目に勉強に取り組み、良い成績を修めていました。
しかし2年生に上がり、学校生活にも慣れてきた頃、徐々に成績が落ちていきました。
周りの友達は塾へ通い始め、みるみるうちに追い抜かれていきました。
焦りを感じた私は2年生の終わりの春期講習から、塾へ通い始めることになります。
塾ってどんな感じかな~と試しに行ってみたつもりだったのですが、塾の勉強スタイルは案外私に合っていたようです。
元々家から近いからという理由で志望校は決めており、その高校のレベルにはすぐに達したのですが、勉強に楽しさを見出した私はさらに"首席で合格する"という目標を立て、どんどん成績を伸ばしていきました。
通知表でオール5を取ったり、テストで学年1位も取ったりました。
毎日何時間も勉強していましたが、ほとんど苦に感じませんでした。むしろ楽しかった記憶さえあります。
春になり、私は見事首席で目標の高校に合格することができました。
入学式の首席代表挨拶では、緊張して一発目から噛んでしまいました(笑)。
この経験は、私の年の人生において誇れることのひとつです。
中学生で部活内のドロドロの人間関係を目の当たりにした私は、高校では絶対に部活に入らないと決めていました。
その代わりに、ピアノ教室に通い始めます。
自分が保育園児の頃からの夢だった、保育士の夢に少しでも近づくためです。
受験勉強で忙しくなる直前まで、約2年間通いました。
高校1年生の夏、母子家庭になりました。
父親は出ていき、安心できる家庭環境を手に入れることができました。
2年生の終わり頃からは、大学受験に向けて勉強、勉強、勉強...の毎日です。
ずっと保育士の夢を追いかけてきましたが、担任の先生との二者面談を機に自分の将来について考え直しました。
結果、短大という保育士一本の道に行くよりは、より選択肢のある4年制大学に行くことに決めました。
しかし、志望校がなかなか決まらず、母に泣いて相談したこともありました。
一人暮らしをしたかったので、①県外であること、あまり遠くには行きたくないので②九州内であること、学費を抑えるため③国公立であることなどの条件を踏まえ、当時の担任の先生に勧められた大学が、長崎大学の経済学部でした。
どのような大学か調べる中で、"国際ビジネスプログラム"というものがあることを知りました。
グローバル人材育成を目的とするプログラムで、それを通して留学ができるというものです。
経済に興味があったというよりは、この国際ビジネスプログラムに入りたくて受験を決意しました。
志望大学が決まったはいいものの、受験勉強は地獄のようでした。
朝7時半から夜の18時頃まで学校で勉強、帰宅してからも勉強、土日も登校し模擬試験…と勉強ばかりの日々。
なかなか点数も伸びず、高校受験とは打って変わって辛かったです。
しかし、センター試験本番では、なんと総合得点で自己最高得点を取ることができました。
それまで苦手だった世界史や英語は自己最高得点を取り、得意な生物は満点を取ることができました。
最後までやり通すことの大切さを痛切に学んだ経験であり、私の成功体験として今でも強く心に残っています。
私が今も努力を惜しまずにできるのは、そのような今までの経験があるからだと思います。
大学時代
大学に入学してからは、長崎での新しい生活、何よりも一人暮らしに慣れることに必死でした。
親からの仕送りはほとんどなく、奨学金と自分で稼いだアルバイト代のみで生活していました。
自分一人の力で生きていくのは大変でしたが、その分責任感は人一倍つきましたし、念願の一人暮らしはとても楽しかったです。
そんな生活にも慣れたころ、和食レストランのホールスタッフとして働きはじめました。
商品名を覚えるためにお店のホームページからメニューを印刷し、表には写真、裏には商品名を書いて暗記カードのようにして必死に覚えました。
他にも、お店の閉め作業を覚えるため、教えてもらったことを整理しメモ帳にまとめていたところ、そのメモ帳が評価され、お店のマニュアルになったこともあります。
長崎を離れるまで約2年半働き、良い社会勉強となりました。
大学では、経済学の基本的な授業のほか、興味のあった国際分野の勉強にも励みました。
そして、前述した国際ビジネスプログラムにも入ることができ、留学に向けた英語の勉強をスタートしました。
このプログラムの講義は、全て英語で行われ、英語でのレポート提出やディスカッション、プレゼンテーションなどに取り組みます。
初めは慣れないことばかりで本当に大変でしたが、だんだんとそれ以上にやりがいや達成感を感じ、自分の英語力に自信がついていきました。
3年生の9月から台湾への留学を予定していましたが、2年間の頑張りも虚しく、新型コロナウイルスの影響で延期となってしまいました。
留学を諦めるか、留年して留学するか、はたまた休学するか、就職浪人となるか...自分の中で色々な選択肢を考えに考えました。
結果、留学は諦めました。
予想以上にコロナが長引き、また就職先も決まり、様々なことを考慮した上での決断でした。
時間が経ち、留学や英語へのモチベーションがなくなってしまったことも原因でしょう。
しかし、私は落ち込むことはありませんでした。
留学がゴールではなく、"それまでの過程"に意味があったと考えるようにしたのです。
2年間のプログラム活動を通して、たくさんの友達や留学生、教授と話したり英語で授業を受けたりしたことで異文化に対する自分の考えが大きく変わりました。
また、英語は試験で良い点数を取るための机上の勉強ではなく、コミュニケーションをとるための"ツール"なのだということを強く実感しました。
さらには、留学という同じ目標に向かい、ともに奮闘したプログラムの仲間に出会えたことも大きな価値がありました。
国際ビジネスプログラムでの経験は、私の大学生活、ひいては人生においてかけがえのない経験となり、人として大きく成長することができました。
4年生になる頃、長崎から熊本に引っ越しました。
就職活動を熊本ですることと、また対面授業がほとんどなくなったためです。
授業は少なくなりますが、卒業論文と就職活動が待ち受けています。
本当に大変でしたが、どちらも納得のいく形で終わらせ、無事大学を卒業することができました。
前職について
前職は、証券会社で営業をしていました。
元々経済学部だったため、金融分野に興味があったのと、熊本で働きたいという意思があり、その希望に沿った会社に入社しました。
法人への新規開拓が中心で、証券口座を開設いただき、金融商品をお買い付けいただくことが主な仕事です。
配属初日から、すぐに営業の電話をかけ、夕方には上司の同行もなく1人で外回りをしました。
1人での外回りは初めはきつかったですが、度胸が付きましたし、慣れてからは1人が楽だと感じるようになりました。
入金額と口座開設件数が設定された新人賞というものがあり、その目標を達成するため日々励みました。
しかし、時間がかかると言われる法人営業が中心ということもあり、なかなか成果が出ませんでした。
私って営業向いてないのかな...と他の仕事を考えたこともありました。
でも、とりあえず1年は頑張ってみようと目標を定め、ひたすら仕事に取り組みました。
すると、配属されて約3ヶ月、1人目のお客さんを作ることができました。
私がしてきたことは間違いではなかったのだと、心から嬉しく思いました。
そこからは波に乗り、どんどんお客様を作っていきました。
あと少しのところで新人賞は逃しましたが、特別新人賞をいただくことができました。
社会人になって1年が経った頃、結婚をしました。
とは言っても、既に同棲をしていたので、変わったのは名字くらいです。
同じ中学校の同級生で、お互い好きなゲームをきっかけに再会することができました。
(Life is Strangeというゲーム。時間を巻き戻す能力を手に入れた女子高生のお話です。本当に面白くて感動するゲームなので、気になる人はぜひ調べてみてください。)
苦労してきた私たちだからこそ、笑顔と会話が溢れる"普通"の家庭を築けると思っています。
2年目からは正式なノルマがついてきます。
1期目は投資信託部門がうまくいかず、ノルマ達成できませんでした。
このままではダメだと思った私は、確固たる自信を持って売れる商品をまず1つ作ろうと思いました。
自分のための勉強なら大好きなタイプなので、休みの日も必死に自己研鑽に努めました。
その結果、2期目からは投資信託をバンバン売れるようになり、ノルマも毎期達成することができました。
ありがたいことに、営業賞や社長賞も何度かいただきました。
私は自分が定めた目標のためなら、どれだけの努力も惜しまない人間なんだとつくづく思います。
新規開拓で重要なのは、①お客様に"会う"こと、②多くの"数"をあたること、③"記録"を取ること、④気持ちの"切り替え"だと思います。
先輩方から、ここ数年で1番の新規開拓をしているねとお褒めの言葉をたくさんいただきました。
営業の仕事は好きで、自分に向いていると実感していたし、苦しみながらも楽しさを見出して仕事に取り組めていました。
ノルマが設定されていることで目標達成能力が伸びたと思いますし、元々身に付いていたコミュニケーションスキルもさらに伸びたと思います。
本当に良い経験をさせていただきました。
ここで得た営業に関する対人スキル、金融に関する知識はどこに行っても役立つでしょう。
これから
ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、心より感謝いたします。
たくさん悩んで苦労もしましたが、今の自分があるのは、これまでの経験や周りの方の存在があってこそです。
自信が持てないことに悩んだ時期もありましたが、今ではしっかりと自分に自信が持てています。
社会に出て色んな人と出会い、また夫の存在もあり、自分自身を好きだと思えるようになりました。
良かったことも悪かったことも含めて、今までの全てのことに意味があると思えるし、過去のどの自分にも胸を張って生きることができます。
最後に、私がなぜWEBデザイナーを目指したのか。
2024年春に結婚式を挙げたのですが、その際に自身でプロフィールブックを作ったり、エントランスに飾るウェルカムボードを描いたりしました。
そこで、初めてデザインというものに興味を持ったのです。
それらはあくまで自分のためのものなので、厳密にはデザインではないのかもしれません。
しかし、自分の考えていることが、目の前で形として現れていくことに面白さを覚えました。
そして、ゲストの方々に褒めていただいたことも私の大きな自信となりました。
退職し、新しい業種にチャレンジしたいと考えているときに、ふとデザインに関わる仕事をしてみたいと思いました。
調べていく中でWEBデザイナーという職種があることを知り、(極めて単純ですが)HP制作って面白そう!と思いました。
元々PC関連が得意だったこともあり、コーディングを中心としたWEBデザイナーを目指すようになりました。
とはいえ、WEBデザインに関する知識は皆無の私です。
そこで、2024年5月から職業訓練校に通い始め、本格的にWEBデザインの勉強をスタートしました。
訓練校の仲間にも恵まれ、自分の興味のある分野だったので、心から楽しい日々を過ごしました。
授業はしっかりと予習をしてから臨み、帰宅後や休日も勉学に励み、資格も合計で8つ取得しました。
仕事と資格取得の両立は大変なので、この機会に多くの資格を取ることができ良かったと思います。
職業訓練校も終わりに近づいたころ、このポートフォリオサイトを制作しました。
何度もつまづきながら苦労しながらも、完成に近づいていく過程を楽しむことができました。
これを仕事にできたら、きっとやりがいを持って仕事に取り組めるのだろうなと思いました。
私が得意とするデザインは、シンプル・おしゃれ・やわらかい・女性向けのものです。
また、体系的にまとめることが得意なので、全体の流れがわかりやすいレイアウト構成などは強みであると自負しています。
逆に、スタイリッシュ・ごちゃごちゃした(オブジェクトが多い)・男性向けのデザインは苦手なので、今後は表現の幅をより広げていきたいです。
そして、WEBデザイナーとして一人前の人材になることはもちろん、上からも下からも"頼られる"人材になりたいです。
これは、一緒に働く方々から、そしてお客様からもです。
このように考える理由は、私が今までそのような人間だったからです。
学生時代から友達に勉強を教えたり、相談されたりとよく頼られていました。
それは、私が努力しているところを周りが見てくれているからだと思っています。
WEBデザイナーとしても、日々自己研鑽に努め、周りの人から頼られる存在になりたいです。
私の強みを存分に生かし、"中村さんと仕事をして良かった!"と思っていただけるよう精進します。
どうぞ中村萌絵をよろしくお願いいたします!